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韓国の巨大スラム「タルトンネ」とは!?カンナムに残る闇と立ち入りの注意点

華やかなK-POPアイドル、最先端の美容カルチャー、そして天高くそびえ立つ近代的な高層ビル群。私たちが旅行で訪れ、メディアを通してよく知る韓国・ソウルの姿は、非常に煌びやかで洗練された大都会です。 しかし、その眩しい輝きのすぐ裏側、見上げるような山の急斜面に、全く別の顔を持つ街が存在することをご存知でしょうか。

それが「タルトンネ(달동네:月の街)」と呼ばれるエリアです。

「月の街」という名前だけを聞くと、夜景が綺麗なロマンチックな場所のように思えるかもしれません。しかし、その実態は韓国の急速な経済発展の歪みから生まれた、いわゆる「スラム街・貧困地区」を指す言葉です。映画『パラサイト 半地下の家族』や『イカゲーム』などをきっかけに、世界的な関心を集めた韓国の貧富の格差問題。その歴史的象徴とも言える場所です。

今回は、「タルトンネ」とは一体どのような経緯で生まれた場所なのか、その歴史から、世界有数のセレブ街である江南(カンナム)に今も残る最大のタルトンネ、そしてそこに入ることができるのかまで、深く掘り下げて解説していきます。


1. タルトンネ(月の街)とは?詩的な名前に隠された過酷な現実

「タルトンネ」は、韓国語で「달(タル)=月」、「동네(トンネ)=街・村」を組み合わせた造語です。直訳すると「月に一番近い街」となります。

しかし、これは彼らが星や月を愛でるためにその場所を選んだわけではありません。「お金がないため平地に住むことができず、山の急斜面や頂上付近にしか家を建てられなかった。その結果、月が近くに見えるほど高い場所に住むことになった」という、非常に切なく過酷な現実から名付けられた言葉なのです。また、「街灯すらなく、夜は月の光だけが頼りだったから」という説もあります。

タルトンネはどのようにして形成されたのか?

この山の上の密集地帯が生まれた背景には、韓国の激動の現代史が深く刻み込まれています。

  • ① 朝鮮戦争(1950〜1953年)による避難民の流入 タルトンネの歴史の起点は、1950年に勃発した朝鮮戦争に遡ります。戦争によって家や故郷を失った人々、そして北側から逃れてきた数多くの避難民たちが、生きるために首都・ソウルへと押し寄せました。しかし、すでに平地には彼らが住む場所はありません。行き場を失った人々は、持ち主のいない山の急斜面や国有地に、廃材やトタン板、ベニヤで粗末なバラック小屋を建てて住み着くようになりました。これがタルトンネの始まりです。

  • ② 「漢江の奇跡」と急速な都市化(1960〜1970年代) その後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げます。農村部の人々は「ソウルに行けば仕事がある、豊かな暮らしができる」と夢見て、次々と上京してきました。しかし、都市部の家賃は跳ね上がり、低賃金の肉体労働で働く彼らに、まともなアパートを借りる余裕はありません。その結果、多くの労働者が低家賃(あるいは無許可)で住める山肌のタルトンネへと流れ込み、密集した居住区がソウルの至る所の山を覆うように拡大していったのです。

急斜面に隙間なく建てられた家々は、水道や都市ガス、下水道などの生活インフラが全く整っていませんでした。人々は急な階段を毎日上り下りして水を運び、共同トイレを使い、冬の厳しい寒さは「練炭(ヨルタン)」を燃やして凌ぐという、過酷な生活を強いられていました。


2. 華やかな江南(カンナム)に残る最大の闇「九龍村(クリョンマウル)」

タルトンネの歴史を語る上で、絶対に避けて通れない場所があります。それが、韓国で最も富裕層が集まる街・江南(カンナム)地区に残る韓国最大のタルトンネ、「九龍村(クリョンマウル)」です。

高級ブランドショップが立ち並び、美容整形外科が集まり、高級外車が走る江南。世界的ヒット曲『江南スタイル』でも知られるこのセレブの街の目と鼻の先、九龍山の麓に、黒いビニールシートやベニヤ板、錆びたトタン屋根で作られた巨大なスラム街が存在しています。

なぜ、超一等地に巨大なスラムができたのか?

実は、九龍村が形成されたのは1980年代後半と比較的新しい出来事です。ここには、国の見栄と開発の犠牲になった人々の悲劇があります。

1988年、韓国にとって歴史的な国家的イベントである「ソウルオリンピック」が開催されました。当時の韓国政府は、世界中からやってくる外国人観光客やメディアに対して「近代化し、美しく発展したソウル」をアピールする必要がありました。 そこで政府は、ソウル中心部の目立つ場所にあったスラム街を「都市の美観を損ねる」として強制的に撤去(浄化作戦)し始めたのです。

ある日突然、住んでいた家をショベルカーで破壊され、行き場を失った都市貧困層の人々は、当時まだ開発が進んでおらず山林だった江南のはずれに逃げ込み、違法にテントやビニールハウスを建てて身を寄せ合いました。こうして生まれたのが九龍村です。

現在、九龍村のすぐ向かい側(道路を一本挟んだ場所)には、韓国で最も地価が高いと言われる道谷洞(トゴクドン)の超高級タワーマンション群「タワーパレス」がそびえ立っています。 今にも崩れそうなトタン屋根のバラック群のすぐ背後に、空を突くピカピカの超高層ビルがそびえるその光景は、韓国社会が抱える「絶望的な貧富の格差」を一枚の絵に押し込めたような、強烈で異様なコントラストを生み出しています。


3. 現在もタルトンネは残っているのか?

かつてはソウル市内の至る所にあったタルトンネですが、1990年代以降の急激な再開発の波に飲み込まれ、現在はそのほとんどが姿を消し、巨大なマンション群(アパート)へと姿を変えました。しかし、ごく一部にはまだ当時の面影を残す場所があります。

ソウル最後のタルトンネ「白砂村(ペクサマウル)」

ソウル市北部の蘆原区(ノウォング)中渓洞(チュンゲドン)にある「白砂村」は、ソウルに最後まで残った大規模なタルトンネとして知られています。昔の住所が「山104番地」だったことから、韓国語で104を意味する「ペクサ」マウルと呼ばれるようになりました。

ここも1960年代後半、ソウル中心部の開発によって追い出された人々が移り住んでできた街です。細く入り組んだ路地、急な階段、そして冬になるとボランティアの人々がリアカーで練炭を運ぶ光景は、昔ながらのタルトンネの姿そのものです。 長年、再開発の計画と中止が繰り返されてきましたが、建物の老朽化による倒壊の危険性などもあり、現在はついに住民の立ち退きが本格化し、消滅へのカウントダウンが始まっています。

江南の九龍村に関しても、長年にわたりソウル市、開発業者、そして居住権や適切な立ち退き補償を求める住民との間で激しい対立が続いてきました。さらに、密集した燃えやすい家屋と、暖房に使う練炭やプロパンガスの影響で、毎年のように大規模な火災が発生しており、早急な対策が急務となっています。こちらも再開発計画が進められており、数年後には完全に地図から消滅する予定です。


4. タルトンネに観光で入ることは出来る?注意すべきモラル

「タルトンネは現在でも立ち入ることは可能なのか?」という疑問を持つ方も多いでしょう。結論から言うと、物理的に入ることは可能ですが、場所によってその意味合いは全く異なります。

大きく分けて、「観光地化されたタルトンネ」と「リアルな居住区(貧困地区)」の2つに分類され、後者への立ち入りには厳格なモラルが求められます。

① 観光地化されたタルトンネ(観光推奨エリア)

かつてタルトンネだった暗い歴史を持つ場所を、若手アーティストや自治体の力で再生させ、明るい観光スポットとして生まれ変わらせた場所があります。これらは観光客が訪れることを大歓迎しています。

  • 甘川文化村(カムチョンムンファマウル)/釜山 「韓国のマチュピチュ」や「レゴブロックの街」とも呼ばれる釜山の大人気観光スポットです。元々は朝鮮戦争時の避難民が山の斜面に作ったタルトンネでしたが、2009年の町おこしプロジェクトによって、家々がカラフルなパステルカラーに塗られ、至る所にウォールアートや星の王子さまのオブジェが配置されました。絶景のフォトスポットとして、世界中から観光客が訪れます。

  • 梨花路上美術館(イファビョックァマウル)/ソウル ソウルの恵化(ヘファ)駅近くにある、坂道や階段に美しい壁画が描かれたエリアです。こちらも古い街並みをアートで活性化させた場所で、数々の韓国ドラマのロケ地にもなっています。(※ただし、現在も一般住民が生活しているため、大声で騒ぐなどの迷惑行為は禁止されています)

② リアルな居住区・貧困地区(興味本位の立ち入りは厳禁)

一方で、江南の「九龍村」や、再開発待ちの「白砂村」などは、アートスポットでも観光地でもありません。完全に人々の生活の場であり、過酷な現実を懸命に生きる人々の「家」です。

ゲートや入場制限がないため物理的に歩いて入ることはできますが、「スラム・ツーリズム(貧困ツーリズム)」として、カメラを片手に興味本位で足を踏み入れることは絶対にやめるべきです。

そこに住む人々にとって、自分たちの苦しい生活環境やプライベートな空間を、見ず知らずの他人にジロジロと見られたり、勝手に写真に撮られたりすることは、人間としての尊厳を深く傷つけられる行為です。過去には、無断で入り込んでシャッターを切ったYouTuberや観光客と、住民の間で警察沙汰のトラブルも起きています。 「他人の貧困や過酷な生活は、決して消費するための観光コンテンツではない」という当たり前のモラルを持つことが不可欠です。


まとめ:失われゆく月の街が現代に教えてくれること

韓国のタルトンネは、ただの古いバラックの集まりではありません。戦争の深い傷跡、猛烈な経済発展がもたらした代償、そして華やかなオリンピックの裏側で犠牲になった人々の、涙と汗、そして逞しく生き抜いた歴史そのものが染み込んだ場所です。

世界を熱狂させるK-カルチャーや、空を覆うタワーマンションのすぐ足元には、現在もなお「月しか見えない場所」で、練炭の火を頼りに厳しい冬を越す人々がいるという現実があります。

再開発の波により、あと数年でリアルなタルトンネは韓国の地図から完全に姿を消すと言われています。歴史の闇へと消えゆく前に、もし韓国を訪れ、甘川文化村のようなアートなタルトンネを歩く機会があれば、そのカラフルな壁の下に、かつてどのような歴史と人々の暮らしがあったのかを少しだけ想像してみてください。

そうすることで、光り輝く韓国という国の持つ「光と影」の深さを、より一層リアルに理解することができるはずです。