
フィリピンの首都マニラに存在し、かつて世界の経済格差と貧困の象徴として広く知られた「スモーキーマウンテン」。 すでに閉鎖されてから長い年月が経過していますが、なぜこれほど巨大なスラムが形成されたのか、そしてそこに住んでいた人々はその後どのような道を辿ったのか。本記事では、その歴史的背景とフィリピンが今も抱える社会課題について解説します。
🗑️ スモーキーマウンテンの誕生と人々の暮らし
スモーキーマウンテンは、マニラ北部のトンド地区に形成された巨大なごみ投棄場です。
1950年代後半から、急速な都市化に伴って排出される大量のごみがこの場所に運ばれるようになりました。次第に、地方から仕事を求めて都市部へやってきた貧困層の人々が、投棄場周辺に集まり始めます。
彼らの主な収入源は、ごみの中からプラスチック、金属、ガラス、段ボールなど換金可能な廃品を拾い集め、回収業者に売る「ウェスト・ピッキング」でした。最盛期には、約3万人もの人々がごみの山の周辺にバラック小屋を建て、過酷な環境のなかで生計を立てていたとされています。
煙が立ち上り続けた理由と健康被害
「スモーキーマウンテン(煙の山)」という名称は、比喩ではなく実際の光景に由来しています。
日々運び込まれる膨大な生ごみが腐敗して内部で大量のメタンガスが発生し、フィリピンの高温と強い日差しによって自然発火を繰り返していました。これにより、ごみの山からは24時間常に有毒な煙が立ち上り続けていたのです。
悪臭や害虫の発生に加え、この有毒な煙を日常的に吸い込むことで、多くの住民、特に抵抗力の弱い子どもたちが深刻な呼吸器系疾患などの健康被害に苦しめられていました。
🚧 1995年11月の強制閉鎖と跡地
スモーキーマウンテンの存在は国際的なメディアで頻繁に報じられるようになり、フィリピン政府への批判が高まりました。
これを受け、政府は1995年11月にスモーキーマウンテンの強制閉鎖に踏み切ります。ごみの投棄を全面的に禁止し、周辺住民を退去させました。現在、かつてのごみの山は平地に均されて土で覆われ、その跡地や周辺には「パラダイス・ハイツ」と呼ばれる中層の公営団地が建設されています。
一見すると、居住環境の改善が成功したように見えますが、根本的な問題解決には至りませんでした。
終わらない貧困の連鎖と新たなごみ山
スモーキーマウンテンの閉鎖は、「ごみの山」という目に見える問題を消し去ったに過ぎませんでした。
公営住宅に入居できたのは条件を満たした一部の人々だけであり、家賃を払うことができない多くの人々は、住む場所と収入源を同時に失う結果となりました。 職を失った人々の多くは、マニラ郊外のケソン市にある別の巨大ごみ投棄場「パヤタス・ダンプサイト(第2のスモーキーマウンテン)」へと移住し、再びごみ拾いの生活に戻りました。
しかし、2000年07月には大雨によってパヤタスのごみ山が大規模に崩落し、数百人規模の住民が生き埋めになるという痛ましい事故が発生しました。これを機にパヤタスも閉鎖や規制の対象となりましたが、人々はさらに別の投棄場を求めて移動を余儀なくされています。
🖋️ おわりに
スモーキーマウンテンという場所そのものは歴史から姿を消しました。しかし、そこにあった「都市部への人口集中」「雇用の不足」「貧困の連鎖」という問題の本質は、形を変えて現在もフィリピン社会に残り続けています。
かつての歴史を知ることは、過去の出来事として片付けるのではなく、現在進行形の社会構造や貧困問題を深く理解するための重要な入り口と言えます。